22本目
4人打ち麻雀
1984年11月2日・ファミコン|開発秘話・当時の小ネタ全部載せ
「麻雀もできるんだよ」——この一言で、日本中の親がファミコンを買った。そのソフトには、相手の手牌が"全部見える"謎のボタンがあった。
🎮 4人打ち麻雀(1984年11月2日/FC) を覚えてる?
目次
『4人打ち麻雀』とは? 発売日・スペック早見
| 発売日 | 1984年11月2日 |
|---|---|
| 機種 | ファミコン |
| 発売元 | 任天堂 |
- 発売元は任天堂。でも作ったのはハドソン
- 国内145万本。麻雀ゲーム史に残る大ヒット
- セレクトボタンを押すと、相手の手牌が全部見える「オープンモード」搭載
そして12個目。そのオープンモード、付いていた理由がちょっと健気なのだ。
『4人打ち麻雀』の開発秘話——真相はこうだった
当時のコンピュータ麻雀には公然の秘密がありました——CPUの思考を軽くするため、コンピュータ側にイカサマをさせるのが常套手段だったのです。そこで本作は、あえて相手の手牌を全部見られるオープンモードを搭載。「うちのコンピュータはイカサマをしていません。疑うなら、どうぞ全部ご覧ください」という、正々堂々の証明機能でした。遊ぶためではなく、信じてもらうためのモード。健気じゃないですか🀄
『4人打ち麻雀』の当時の小ネタ12連発
- 発売元は任天堂だが、開発はハドソン。1983年のパソコン用麻雀ゲーム『ジャン狂』の移植だシェア
- 『ジャン狂』という名前は、タイトルに「狂」を付けるハドソンPC時代のネーミング癖から。ファミコン版では「狂」が外れて『4人打ち麻雀』という直球の名前になったシェア
- ファミコン本体と同時発売の『麻雀』(1983年・任天堂)はコンピュータとの2人打ちだった。家庭で4人打ちを実現したのは本作が初シェア
- 国内累計出荷は約145万本。ファミコンの麻雀ゲームとして空前のヒットになったシェア
- 「麻雀もできる」はゲーム機に渋い顔をする親への殺し文句になり、ファミコン普及を後押ししたと言われるシェア
- プレイ中にセレクトボタンでいつでもオープンモードに切り替え可能。腕に自信がない人の勉強用にも使えたシェア
- ルール設定は喰いタンの有無のみ。チョンボも無しで、初心者にやさしい設計だったシェア
- 持ち点は2万7000点持ちの3万点返し、半荘戦シェア
- 九蓮宝燈は条件を満たすとダブル役満になる大盤振る舞いシェア
- 本作のあと、ファミコンで麻雀ゲームは約3年間も発売されなかった。1987年の『ファミリーマージャン』まで、麻雀は本作1本で事足りていたシェア
- ハドソンはこの年サードパーティー参入したばかり。その会社が任天堂ブランドのソフトを開発するという、今見ると面白い関係だったシェア
- 価格は4500円。買ったのは子どもの名目でも、実際に握っていたのはお父さん——という家庭が続出したシェア
『4人打ち麻雀』の遊び方——操作と対局ルール
卓を囲むのは4人。人間が受け持つのは1席で、残りの3席にはコンピュータが座る。操作は十字キーとAボタンが中心だ。十字キーの左右で捨てる牌を選び、上下で「ポン」「チー」「リーチ」「ロン」「ツモ」などのコマンドを選んで、Aボタンで決定する。牌を積む手間も点棒のやりとりも機械任せで、考えるのは何を切るかだけである。
対局は半荘戦で、南場が終わっても西入はしない。持ち点がマイナスになっても終わらず、最後まで打ち続ける「ドボンなし」のルールだ。終局後に加算されるのはトップ賞のオカだけで、順位に応じたウマはない。配牌で九種九牌がそろったときは、ツモのコマンドに合わせて決定すれば流局にできる。
反則が起きない作りも特徴だ。役のない手やフリテンでロンしようとすると、画面に「デキマセン」と出て受け付けない。テンパイしていないのにリーチをかけることもできない。リーチをかけた後は、当たり牌が来るか流局するまで、ツモった牌を自動で切ってくれる。
点数計算と役満の扱い——いまの麻雀ルールとの違い
点数計算には、いま一般的なルールと違うところがある。混老頭は3翻役として数える。七対子は25符2翻、鳴いた平和の形でロンしたときは20符で計算する。5本場以降は2翻縛りになり、そのことは百点棒の表示に色が付くことで知らせてくれる。
ドラは表示牌の次の牌。裏ドラと槓ドラはあるが、槓裏ドラはない。役満は複合し、四暗刻の単騎待ちと国士無双の13面待ちもダブル役満になる。ただし九蓮宝燈が成立するのは萬子だけで、索子や筒子で同じ形を作っても清一色の扱いだ。和了したときの役名は最大7つまでしか表示されないが、表示からこぼれた役も点数にはきちんと入っている。
『4人打ち麻雀』が出た1984年——任天堂3本目の麻雀ソフト
任天堂が出した麻雀ゲームとしては、本作が3本目にあたる。最初は電子ゲームの『コンピュータマージャン役満』、次が1983年発売のファミコン『麻雀』だった。『麻雀』の国内出荷は213万本とされ、本作の145万本と合わせると、ファミコン初期に麻雀ソフトがどれほど求められていたかが見えてくる。
前作『麻雀』とは遊びの形がかなり違う。『麻雀』は相手がコンピュータ1人だけで、プレイヤーは必ず最初の親になる。1回の勝負は東1局から南2局までの4局で、それを3回先に勝ったほうの勝ちという独自の形式だった。本作は4人で東南の半荘を打つ、雀荘と同じ形に近づいた。
原作の『ジャン狂』は、PC-6001、PC-8801、PC-9801、FM-7、X1、MSXなど十数機種に出たパソコン麻雀だ。PC-6001mkII以降の版には音声でしゃべる機能もあった。PC-8801版などではリターンキーでオープンモードを切り替える仕組みで、ファミコン版ではそれがセレクトボタンに置き換わった。
スタッフについては、英語版Wikipediaにプログラマーとして Masahiro Tobita の名が挙がっている。日本語版Wikipediaによれば、リセットボタンを押したときに「M.Tobita」という文字が画面に出ることがあるという。
『4人打ち麻雀』はいま遊べる?(Switch Online・中古相場)
公式の現行配信はなし。遊ぶなら実機・互換機で。※2026年8月時点
『4人打ち麻雀』の都市伝説・噂(裏取りなし枠)
情報元・参考資料
- Wikipedia『ジャン狂』『麻雀 (任天堂)』
- レトロゲームの説明書保管庫『4人打ち麻雀』
- Wikipedia英語版『4 Nin uchi Mahjong』
調べるときに参照したページ
